最終更新:2017年1月29日


日本台湾学会台北定例研究会
第69-72回

第72回
日時 2015年3月5日(土) 15:00開始
場所 国立台湾大学台湾文学研究所
報告者 清水 美里 氏(日本学術振興会特別研究員(PD)、東京外国語大学・早稲田大学非常勤講師)
コメンテータ 郭 雲萍 氏(開南大学観光与餐飲旅館学系)
テーマ 「嘉南大圳の『公共』性と暴力の併存」
使用言語 日本語
参加体験記  
 2016年3月5日、台湾大学台湾文学研究所会議室で第72回台北例会が行われた。報告者は清水美里氏(日本学術振興会特別研究員(PD)、東京外国語大学・早稲田大学非常勤講師)で報告タイトルは「嘉南大圳の『公共』性と暴力の併存」である。コメンテーターはやはり嘉南大圳などの研究に取り組んできた郭雲萍氏(開南大学観光与餐飲旅館学系)、参加者は10名だった。
 報告された内容を概略すれば以下の通りである。「はじめに」では、公共埤圳組合であった嘉南大圳組合を事例にして、植民地「公共」性について検討することが示され、関連する先行研究が紹介された。「1.嘉南大圳とは」で三年輪作制が紹介され、「2.嘉南大圳組合の運営」では、水利組合に議決権はなかったが公共埤圳組合には議決権があったこと、また、水利組合に小作人は加入できなかったが公共埤圳組合には小作人も加入できたこと、といった特徴を指摘しつつ、地方役所と連結した水租徴収などの組織運営が図で以って説明された。「3.監視員の記録からみる農民の反応」においては、1930年代初頭は低かった三年輪作制の実行率が中頃にかけて上昇するものの、水稲の90%という成果に対して甘蔗は70%程度で頭打ちになっていたというデータが紹介された。「4.組合会の機能を骨抜きにする動き」、「5.組合会の機能を活発化させる動き」では、水租負担に対する組合員の不満が総会の混乱を招いていた状況が紹介され、そうした混乱を封じるような、非日本語話者を排斥する1932年の組合会議員選挙規定改訂が指摘された。農作地現場で生じた混乱については、甘蔗作付けを可能にする強引なヒースプラウ土地改良に反発する小作農が警察からの取り調べを受けるに至った事件が「6.暴力の発動」で紹介された。「おわりに」では、駒込武氏が提起した公共性をめぐるpublicとofficialの違いにふれ、嘉南大圳については「公共」のofficial 化を図る日本植民地権力と、「公共」のpublic化を図る台湾知識人という構図がみうけられる、というまとめがなされた。
 以上の報告に対して、コメンテーターからは、もともと私有性の強かった状態から「公共」性が付与される状態に移行した桃園埤圳などとの差異性が指摘されたうえで、(1)「暴力」と称される事象、(2)三年輪作制の具体的実施過程における複雑性、(3)実質的資金負担に関する地域的多寡(国家の「暴力」に対する抵抗の地域的多様性)に関連するコメントがなされた。報告者からは、(1)農民ではなく製糖会社の側に立つ官憲の事例も「暴力」としてとらえうること、(2)多様性のある地域に画一的な制度を導入したことによる運用システムの不安定性、(3)収益減少時において水租負担が実質的に高まる区域の存在、といったリプライがなされた。参加者からは、三年輪作制実行率が低い時期の土地の使われ方、水租の実質的負担者(地主か小作農か)、組合会議員の社会経済的背景、「公共」や「暴力」の概念、に関する質問が相次ぎ、活発な質疑応答となった。
 体験記筆者は報告者による10年近く前の初々しい研究報告を聴いたことがある。報告者はその時から地道に現地調査を重ね、着実に研究成果を積み上げ、2015年には『帝国日本の「開発」と植民地台湾』(有志社)を出版された。その路程を着実かつ忍耐強く歩んだ姿に、敬意を表せざるを得ない。研究会終了後は、報告者とコメンテーターを囲む有志参加の食事会となり、台湾に留学している大学院生とも楽しく交流できた。彼らが学会で活躍するであろう10年後も、台北定例研究会が活発で自由に議論できる場として機能し続けていることを願う。(湊照宏 記)
第71回
日時 2015年10月24日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学行政大楼A605室
報告者 駒込 武 氏(京都大学大学院教育学研究科)
テーマ 「台湾植民地支配と『国家神道』―台湾政治史研究の方法論再考」
使用言語 日本語
第70回
日時 2015年9月19日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学行政大楼A605室
報告者 湊 照宏 氏(大阪産業大学経済学部)
コメンテーター 洪 紹洋 氏(国立陽明大学人文与社会教育中心)
テーマ 「1950年代の台湾電力公司と米国援助」
使用言語 日本語
参加体験記  
 2015年9月19日に第70回定例研究会が国立台北教育大学で開催された。大阪産業大学の湊照宏氏が「1950年代の台湾電力公司と米国援助」と題して報告をおこなった。コメンテーターは洪紹洋氏(国立陽明大学)、参加者は12名だった。
 本報告は、1950年代における台湾電力公司と米国援助機関の関わりを、債務償還計画およびこれと不可分の関係にあった電気料金値上げ問題から分析するものである。台湾の米援研究においてはマクロ経済からの分析が中心であったのに対し、被援助企業に着目する点に本研究の特徴がある。報告では、米国のECAが対外援助を実施した時期、およびMSAが実施した時期に区分して検討された。
 ECA時期、朝鮮戦争以前の1950会計年度においては新竹変電所の拡張を始めとする150万ドルの援助、1951会計年度においては、天冷水力開発を含む374万ドル余りの援助が決定された。しかし、1951会計年度における物資調達に際して、見積もりの甘さや日本や米国におけるインフレの影響から予算額が二倍超となった。なお、この時期の物資調達は、相対的高価であったにもかかわらず、納期の短さから日本への発注も少なくなかった。台湾電力公司は電源開発計画予算の膨張による債務急増を背景に1951年度に社債を発行、返済に充てるため、1952年度より電気料金の値上げを検討するも、これは実行されなかった。
 この状況が引き継がれたMSA時期からは、台湾電力公司に対する援助は複数年度にまたがる大規模なものとなり、各地に新設の火力および水力発電所の設立が計画された。この計画は予算オーバーから当初の計画通りとはいかなかったが、多額の借入金返済のためには電気料金改定は不可避であった。電気料金は1953年より32パーセント値上げがなされ、増収分は返済に回されたほか、また台湾電力公司から政府が受け取る法人税および配当金は元利金償還にあてられた。このように、台湾電力公司の利益処分に対しては厳格な管理がなされていた。また、1954年からは台湾電力公司の資産額が再評価されたことによる固定資産増加と、その減価償却費用の増大に対応するため、再度の電気料金値上げが計画され、1955年から実施された。これ以後、米国議会の対外援助執行の厳格化にともない、CUSA(米国援助運用委員会)から継続的に電気料金値上げ要求を受けることとなった。
 以上のように、台湾電力公司は電力開発のために米国の援助を受け、他方で米国援助機関は台湾電力公司に債務返済に充当させるための電気料金値上げを求める、という関係にあったのである。
 なお、本報告の内容は、堀和生編『東アジア高度成長の歴史的起源』京都大学学術出版会(2016年11月刊行)の第2章に収録されている。(鶴園裕基記)
第69回
日時 2015年9月12日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学行政大楼A605室
報告者 松田 康博 氏(東京大学東洋文化研究所)
テーマ 「馬英九政権の大陸政策と対外関係」
使用言語 日本語
参加体験記  
 2015年9月12日、台北教育大学行政大楼A605室で第69回台北例会が行われた。報告者は松田康博氏(東京大学東洋文化研究所)で、参加者は19名だった。「馬英九政権の大陸政策と対外関係」と題する報告では、2期8年の在任期間が終わりに近づいている馬政権の「大陸政策」と「対外関係」の総括がおこなわれた。報告の内容は以下のとおりである。
 外省人エリートであることが大統領選挙でネガティブに作用しかねなかった馬英九は、台湾語や客家語の学習、本省人家庭に宿泊するいわゆるロングステイなど、台湾アイデンティティに「抱きつく」戦略をとり当選をはたした。1期目は「九二共識」を前面にかかげることによって中国との準公式的な対話を回復し、直行便の定期化、中国観光客の受け入れ、各種実務協定の締結が進んだ。ただこれらは、もともと民進党の陳水扁政権期から準備が進められていたものであり、2010年に締結された経済協力枠組み協定(ECFA)をのぞけば、馬政権オリジナルの政策というわけではない。
 一方、中国側も、言うなれば初の協力的な台湾政権の誕生を受けて、国際空間において台湾が一定の地位を占めることを黙認する姿勢に転じた。陳政権のときに減少した中華民国を承認する国の数は、馬政権下では今日にいたるまでほぼ変化がなく、またWHOやICAOといった国際機関にも、きわめて限定的ながら台湾が参与できるようになっている。台湾と日本のあいだの実務的な関係の進展にも、こうした中国のあらたな対台政策が影響をおよぼしている。ただ、2012年選挙前に馬が打ち出した中台平和枠組みの構想は反発が大きく、事実上撤回せざるをえなかった。
 2期目に入ると、内政での挫折がかさなり、支持率も低下する。側近にかたよった人事、立法院長王金平との対立、そしてひまわり運動などにより政権の求心力はうしなわれた。一方、来台中国観光客の急増に代表される中台間の社会的接触の拡大が台湾人アイデンティティの深化をもたらし、馬政権への不支持を広げたことも指摘できる。そして、2014年11月の「九合一選挙」で国民党は歴史的な惨敗を喫することになる。
中国では習近平政権となったが、台湾に対してはいまのところ、胡錦濤のときの政策が継承されている。こうした状況のもと、馬は習との会談の実現へ向けて「突進」と言ってもいいような積極的な姿勢をみせ、中国側に配慮する形で「両岸言説」を調整していくようになる。しかし、結局会談は実現せず、「馬習会」を政権の浮揚や馬自身への評価につなげようとするもくろみもはたせなかった。
 日本との関係においては「特別なパートナーシップ」をかかげた。政権発足当初こそ「聯合号事件」で緊張ムードがただよったが、その後は数多くの実務協定を締結していった。尖閣諸島をめぐる日中の対立が激化するなか、「東シナ海平和イニシアチブ」を提唱し、この問題での中国との協力を拒否しつつ、日本との尖閣周辺での漁業取り決めの締結を実現するというしたたかさもみせた。日本の元首相のあいつぐ訪台、また東日本大震災の際の台湾からの支援を受けての日本社会の台湾に対する関心の高まりもあり、全体としては良好な関係が維持されたと言えるのではないか。政権末期に、故宮博物院日本展での「国立」という語の使用、日本からの輸入食品の安全性、慰安婦問題、抗日戦争70周年をめぐって、強硬にみえる姿勢もみられたが、これらとても対日関係を悪化させようという意図からのものではない。ただ1期目にくらべ、2期目の対日政策がやや惰性的になっていた感はいなめない。
 以上の報告に対して参加者からは次のような質問や意見が寄せられた。

民進党の優勢が伝えられる来年の大統領選挙やその後の政権のゆくえを、中国はどのように見ているか。
日本の政治家の台湾とのかかわりかたは、「反/親日」を基準とした好き嫌いのレベルにとどまっているのではないか。
台湾の世論調査でよく問われる「満足度」と支持率は一致しないのではないか。たとえば急進統一派は馬英九の政策に満足していないが、選挙になれば国民党に投票するだろう。
「馬習会」が実現する可能性があると馬英九が考えた根拠は何か。
台湾で今後、中国政府が望むような政治状況が生まれるとは考えにくい。だとすれば、どのような対台湾政策がありうるのか。
「馬英九は中華民国原理主義者」だという報告者の指摘があった。では、2008年の就任時、馬英九は中華人民共和国との関係において、いかなる中華民国をめざしていたのか。
90年代の李登輝政権下においては、中国との交渉はしつつも、むしろあまり実質的な話をまとめないようにしようとする力学がはたらいていたのではないか。
今日では、中国にいる「台商」のみならず、台湾内でも中国とのビジネスで利益を得る企業や人々のネットワークが拡大している。このネットワークに対する脅威論をどうみているか。

 松田氏の報告をうかがって印象的だったのは、馬政権の対中政策には、実は90年代の李政権にまでさかのぼれるものが多いという話だった。政治家の省籍や二大政党のいずれかなのかを色眼鏡にして時の政権の対中政策をながめてしまいがちだが、注意深く分析してみると、李、陳、馬それぞれの政権のあいだに、陰に陽に連続性が見いだせるのだろう。李は1990年代なかば以降、「一つの中国」を言わなくなったといい、その後、中国との対立も激しくなるが、もし90年代前半の状況が継続していれば、馬政権下であらわれた中国との関係の変化が、すでに李のもとでおこっていた可能性もあるという松田氏の指摘は興味深かった。上述したように、「三通」や中国観光客の開放なども、陳政権が準備を進め馬政権期に実現したものであり、馬政権は中国傾斜を批判されると、前政権からの連続性を強調して反論していたほどである。
 来年5月には政権交代がありそうだが、新大統領になるであろう蔡英文がこの連続性の外に位置を占めるとも考えにくい。だとすれば、蔡は就任後、多かれ少なかれ受けるであろう「身内」からの批判にどう答えていくのだろうか。アンチテーゼとしての「馬英九政権の大陸政策」とみずからの政策をどのように差異化していこうとするのか。
 大統領選挙期間を住民として過ごすのは4回目だが、これほど結果が見えてしまっている選挙は今回が初めてである。すでに来年5月以降を見越した動きがあちこちで始まっているのだろう。どのような人々がスタッフや協力者として政権に関与していくのかということもふくめ、今後の動きを注視していくうえで貴重なお話をうかがうことができた。(冨田哲記)

台北定例研究会トップに戻る